娘たちの学校ではすっかり日常が戻りつつあります。イベントも頻繁に行われるようになり、なんだかイベントばかりで次女はその準備もあっていつ勉強してるんだろう?という感じであり、流石にそうはいかない長女のクラスは授業の合間に準備をするのが先生も生徒も大変そうです。
日本の行事は完成度の高さを重視
長女は、年少時、半年だけ日本の幼稚園に通いました。その時の幼稚園は音楽会が有名で、幼稚園児とは思えない圧巻の演奏をするらしいのです。私が幼稚園に用事があって行った時に、ちょうど音楽室でその音楽会の練習をしているところに遭遇したことがありました。
それぞれが自分の担当楽器があり、先生は指揮をしているのですが、それが私が小学生の頃にリコーダーを吹くときのような先生の緩い指揮とはかけ離れたものでした。担当楽器によってパートが分かれているので、鈴の子たちのパートになれば先生はその子たちに表情で合図を送り、指揮の手を彼らへ向けて入るタイミングを合わせます。それをさまざまな楽器それぞれのパートで先生が巧みに指揮をし、子供たちは真剣に演奏していました。
もう、練習風景だけでも涙が出そうになる程、みんな一生懸命でした。幼稚園児でここまでやれるってすごいなと思ったし、その時は先生たちは必死ではあるけれど、決して威圧するような雰囲気ではなく、とにかくみんなが一生懸命に一つの作品を仕上げている途中という感じでした。
完成度の低すぎるパフォーマンスでもOKなインター
でもインターってそういう完成度を求めることってほとんどなくないですか?笑
私は2校しか経験がないので、もちろん中にはそういう学校もあるとは思いますが、少ないと思うんです。そもそも合奏みたいなことってあまりしない。楽器に触れる機会はMusicの時間に色々あるのですが、それを練習してイベントで発表みたいなことってすごく少ないです。
有志のバンドとか、ピアノが得意な子がクラスの合唱の伴奏とかはもちろんあります。
ダンスもみんな楽しそうではあるけれど、バラバラだから揃えて綺麗に踊るみたいな概念がそもそもないのかな?と思うほど。
ただ、イベントはしょっちゅうやりますよね。もちろんパフォーマンスのないバザーのようなイベントもあるけれど、何かしらパフォーマンスやコスチュームパレードをするみたいなのが多いです。
で、このパフォーマンスの衣装もすごくざっくり。日本は全員がきっちり同じ衣装ということも珍しくないと思うけれど、こっちでは大体の場合、色が指定されるかテーマが与えられてそれに合っていれば細かいことは誰も気にしない。
なので、娘たちはこのコスチュームに関してすごく融通がきく性格で助かります 笑
私の子供時代は、みんなと全然違うものって絶対に嫌だったけれど、こっちでは誰かと誰かが同じということがほぼないので細かいことには拘りません。例えば、赤いTシャツって言われたんだけどもう明らかにサイズアウトしててチビTになっちゃってるものでも「え?これで全然いいじゃん!一日だけだし!」という。母としては助かります。
外国人だからって人前はみんな緊張してる!
これ、勝手なイメージなのかもしれないのですが、日本人はよくシャイだと言われますよね。自分の意見を言えないし、人前に出るのも苦手。
そう言われることが多いから、外国人=シャイじゃない というイメージ、ありませんか?
でも、やっぱりそれは人によるだけで、日本人でも人前が全然大丈夫な人もいるし、外国人でも大勢の人の前で何かやることになったら緊張する人の方が多いんだと思うんです。
というのも、先日の学校のイベントを観に行った時、会場に着くと仲良しのシンガポール人ママが最前列に座っていて、「隣、座る?」と言ってくれたので、最前列に座ったんです。ステージもちょこっと高さがあるだけのステージなので距離が近い。
そこで、詩の朗読をする子がいて。2人組だったり、1人だったり。暗唱する子もいたけど、紙やスマホを見ながら読む子もいました。近いので気づいたのですが、ステージで発表してる子たち、かなりの高確率で手が震えてるんです。笑顔だし、声は震えていないので堂々と発表できているのですが、手は私が見てて分かるくらいにもうブルブル震えていて。
そういう子が1人2人ではなくて、何人もいたんです。
以前、娘のクラスではプレゼンばっかりやっている授業があると書いたことがありますが、このパフォーマンスにも同じ効果があるのではないかと思いました。
大切なのは完成度ではない、人前に出て、堂々と自分を表現する練習。
気づかないうちに積まれる経験こそ、自分の意見を堂々と言える心の強さにつながっている
最近すごく思うことがあるんです。やっぱり人は経験するほどに強くなる。経験値が上がれば、できることが増えていく。それは幾つになっても変わることはない。
大人にも、苦手なことってたくさんあると思うけれど、それって性格ももちろんあるけれど、それ以上に経験があるかないか。これってすごく大きいと思います。私は本来、リーダー向きの性格ではなく妹気質で先輩や上司の下でぬくぬくしていたいタイプです。
でも、コロナのせいで日本人の人たちは一斉に本帰国となり、最近は一気に新しく赴任してくる方々が増えてます。それはそれはすごい勢いで。
新しい国へ赴任したばかりの時って色々分からないことだらけで不安ですよね。街のことすらわからないのに、インターも初めてとなると学校からの説明は丁寧じゃないし、先生とのやりとりは全て英語だし、ママたちとも英語でコミュニケーション取らないといけないし、ずーっと日本に住んでいていきなりインターで初めましてで、英語がバーーーーーって話せる人ってごく僅かなのではないでしょうか。聞けたり、話せたりある程度するはずなのに、全然出てこない!って方も少なくないはず。頭が完全に日本語脳になっている状態から、日本語と英語にバランスよくなるのってちょっと時間かかりますよね。
私もここに初めて来た時は、まだ次女がベビーで。ただでさえ今よりも英語もできなかったし、インターのイベントとか全然分からないしで、先生の説明が全くわからず、恥をかいたことがあります。
でも、最初に通ったインターの同じクラスの日本人ママたち、本当に涙が出るほど優しかったんです。まだ入って数日の私に「今週末って何してる?暇??もしよかったらうちで一緒に遊ぼうよ」と誘ってくださって。同じコンドミニアムに2家庭住んでいて、みんなで一緒に遊べるからと。
ドッキドキで向かった当日の朝。子供たちが迎えに来てくれて、家にお邪魔したのですが、そこで迎えてくれたそのママ、Tシャツ短パンすっぴんで洗濯物を干しながら
「あ!おはよー!ちょっと待っててねー適当に遊んでてー」って。
何このラフな感じ、最高じゃんこの人。と、内心感動していました。私に一切の緊張をさせない。ラフでフラットな感じ。その上、親切で優しい。もう2人、日本人のママがいたんですが、それぞれが本当に優しくしてくれて。
でも当時は助けてもらってばかりで、私が彼女たちに返せることは何一つないと感じていました。でもその中の1人のママに「何年か経って、ベビーがもう少し大きくなって、自分に余裕ができた時にその時そばにいる人に優しくしてあげてね。みんな最初は誰かに助けてもらってここでの生活がスタートするの。だから甘えていいんだよ。それで、何年かしたら自然としてあげられることが出てくるから。そうしたらその時にできることをしたらいい。そうやって良い連鎖がずっと回っていくと良いよね。」と言われました。
この言葉は今でもすごく覚えていて、新しく学校へ入ってきた日本人のママやコンドで会うママになるべく自分から近づくようにしています。
それと同じことなんじゃないかなと、子供たちを見ていても思ったのです。とにかく経験を積む。やってみる。今日うまくいかなくても、また次のチャンスはすぐにやってきて前回の反省を活かす練習ができる。それが途切れることなくコンスタントに巡ってくることで少しずつ、本当に少しずつ人前に出て自分を表現する練習をしていく。
もちろん、日本のように完成度を求めることも素晴らしいこと。そこで学ぶことはまた、インターのようなやり方では学べない貴重なものがあると思います。
何を経験していくか。ということがすごく大切なことなんだなと思います。
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