「野菜をまったく食べない」
「人参しか食べてくれない」
そんな子どもと毎日向き合って、悩んで、時には自分を責めたことはありませんか?
私もそうでした。
長女は、超偏食。何年も“野菜を食べない”を見続けてきました。
でも、今では野菜を食べてくれるようになったんです。
加熱されている野菜はほとんどなんでも食べるようになりました。
生野菜もどんどん克服していています。
トマトは鼻をつまんで食べていますが 笑
きっかけは、ある1冊の本でした。
人参しか食べなかった長女と、私の10年
離乳食の時期は、そこまで偏食という感じはありませんでした。
むしろ、特に印象に残っていないくらいで、「まあまあ普通かな」と思っていました。
ところが、離乳食が終わって、少しずつ大人と同じような食事に移行していくと、徐々に「食べるもの・食べないもの」がハッキリしてきたんです。

特に野菜はもう、壊滅的に食べなくなりました。
唯一食べるのが“人参”。
でも、その人参でさえ、大きいままだと絶対にダメで、薄くスライスしたものや細かく刻んだものに限られていました。
形やサイズ、見た目にとても敏感で、「これならギリOK」というラインが本当に狭かったです。
他の野菜は完全にNG。
カレーの中の野菜でさえ、煮たものを取り出してミキサーでペースト状にしてからルーと合わせるという、もはや“作戦”のようなことをしていました。
それでも「野菜をとってほしい」という思いが強かったので、毎日工夫しながらなんとか食べさせようと必死でした。
カレーやハヤシライスばかりというわけにもいかず、代わりにポタージュをよく作りました。
特に人参ポタージュは定番。
でも、人参以外の野菜が入るとダメ。
玉ねぎは入れられても、色が緑っぽくなると即アウト。
味うんぬんではなく、“色”で拒否反応が出るようにすら感じていました。
三歳頃からはジューサーを導入。
ミキサーとは違って繊維を取り除いてくれるから、飲みやすい野菜ジュースが作れました。
小松菜・りんご・バナナのミックスなど、フルーツの甘さで野菜をカバーする作戦で、なんとか「飲めるかも」というラインを探しました。
最初は緑色の見た目に拒否されましたが、「飲んでみたら…飲めなくはない」というリアクションがあって、そこから毎朝のジュース習慣がスタートしました。
味噌汁も具は食べないけど、汁は飲んでくれました。
だから具から溶け出す野菜の栄養に、淡い期待をかけていました。
納豆はなぜか好きでよく食べていたので、「野菜は食べなくても、納豆食べてるから大丈夫…」と、当時の私のメンタルバランスを保つ命綱でもありました。
幼い頃の外食や旅行、友達の家での食事は毎回が大変でした。
基本的に健康的な食事だと、食べられるものがなくて、常に“食パン・バナナ・赤ちゃんせんべい”の三種の神器を持ち歩いていました。
「おにぎりなら?」と思って持たせても、日によってムラがあり、食べるかどうかは運しだい。
パンだけが唯一の安心材料でした。(これも食パン限定)
ピザもフライドポテトも、子どもが好きそうな食べ物すら食べません。
長女と真逆で野菜も果物も大好きな次女
そして驚いたのは、次女はまったく真逆だったということ。
同じように育てているはずなのに、野菜も果物も全般的に好きで、これといった偏食はなし。
もちろん切り方や味付けでの好みはあるけれど、「これは絶対食べない」というレベルのものがなかったんです。
この“差”に私は本当に驚きました。
だからこそ思うのです。
「子どもの偏食は、お母さんのせいじゃない。」

私は自分自身も偏食ではなかったし、普通に何でも食べていたタイプ。
もちろん嫌いなものはありました。
春菊やセロリなど、クセが強い野菜は苦手だったけれど、全体的には食べられないということはなかったんです。
だから、自分の子どもがこんなにも偏食になるなんて想像もしませんでした。
長女の偏食は、友達からも「大変だね」と心配されるレベルで、何を食べさせるか毎日が試行錯誤の連続でした。
今振り返っても、あの頃の私は本当によく頑張ってたと思います。
私を救ってくれた、1冊の本との出会い
長女の偏食が続く中で、偶然手に取ったのが「フランス式の子育て」を紹介している1冊の本でした。

フランスの子どもはなんでも食べる〜好き嫌いしない、よく食べる子どもが育つ10のルール
(※カナダ人の母親がフランスで子育てをするエッセイです)
その本では、子どもに対する食育の考え方が根本から異なっていて、特に印象に残ったのが以下の3点でした。
- 同じ食材を何度も出す
- 無理に食べさせようとしない
- まず大人が楽しそうに食べることを大事にする
日本では「残さず食べるのがよいこと」とされがちですが、フランスでは「味覚は育てるもの」という前提があり、親が焦らない姿勢が文化として根づいているようでした。
読んでいて、「あ、これなら私にもできるかもしれない」と思えたのが大きな転機でした。
「無理に変えようとしなくても、出し続けていいんだ」
「自分が楽しんで食べれば、それでいいんだ」
と思えたことで、少し肩の力が抜けたのを覚えています。
同じ食材を何度も出す

子どもって、食べたことのないものを食べるのを嫌がりませんか。
これは、私にも自身の子どものころの記憶があります。
今では大好きなのに、子どものころはケーキを食べませんでした。
ハンバーガーも、「ハンバーガー」しか食べない。
チーズバーガーとかてりやきバーガーは食べたくなかったのです。
こういう傾向がある子って少なくないと思います。
年齢とともに、おそらく、試す機会が何度もあるうちに、一度試してみたらおいしかった。
その後はなんの問題もなく食べるようになる。
みたいなこと、ありませんか?
この本の中では、子どもが食べなかった食材でも何度でも出すということが書かれています。
単純に味に馴染みがないだけだと。
長女がある程度の加熱された野菜を一通り食べられるようになったのは10歳くらいだったと思います。
それでも生野菜はレタス1枚をなんとか頑張って食べられるかどうか。
はっきりと偏食が出たのが1歳だとして、約10年間、私は偏食の長女と向き合ってきました。
そして、この本に勇気づけられて、食べなくても調理法を変えたりして何度も出し続けました。
深く考えない。食べなくても気にしない。
本当に悩んだ時期もありましたが、長女なりに私にしか分からないくらいのゆっくりなスピードで前進はしていました。
果物は、バナナしかたべなかったのにりんごが食べられるようになったり。
食パンしか食べなかったのに、黒パンが食べられるようになったり。
お味噌汁のうっすーーーーーーーい大根をひとつ食べられるようになったり。
こうして、本当にゆっくりながら、食べられるものは増えていきました。
小学校での栄養の授業が長女に変化を
長女がYear2のときは、ちょうどコロナ禍でした。
我が家は日本に避難帰国していましたが、学校はインターのオンライン授業を継続していました。
長女のYear2の時の先生がとても熱心な先生で、私も画面越しに授業の様子をいつも聞いていました。

そこで、栄養バランスについての授業がされたのです。
長女自身が、「野菜を食べること」「バランス良く食べること」の大切さを家族以外の人から教えてもらうという経験もとても良かったと思っています。
この頃から、「おいしくないから食べたくないけど食べたほうが良い」という気持ちに変わったように見えました。
人と食事をする楽しさを伝える
本の中でも、親の友人や親族との食事の場面での話が出てきます。
私は子供たちの睡眠時間を今でも10時間ほど確保しており、それはどんなときも優先してきました。
でも、ここ数年は我が家にお客さんが来るときや、お友達の家に遊びにいかせてもらう機会を大切にしています。
家族以外の人たちと食事をともにする楽しさを知ることができます。
また、普段会わない人と会うと、普段しない会話が生まれます。
大人たちの会話を聞く良い機会でもあると思っています。
そして何より、大人数で食事をすることで、自分が普段食べないものを「食べてみよう」という気持ちも生まれやすくなります。
そして、とても大切だったなと思うことは、深く考えないことだとも思っています。
偏食なのは、母である私のせいではない。
母として、できることを無理のない範囲でやればいい。
私はそう思ってきました。
だって、次女はセロリだってルッコラだって「おいしい!」といって食べるんです。
偏食も、その子の性格のひとつくらいに考えてこれまでやってきました。
そうしたら、長女のようにいろいろなものが食べられるようになることもあります。
きっと彼女はこれからも食べられるものを増やしていくと思います。
そして大人になったときには、幼い頃、人参以外の野菜を一切食べなかったなんて信じられない!というようになりそうな予感すらします。
今日も元気に一日を過ごせたならそれだけでもう十分だと思っています。
でも、頭ではわかっていても悩むときもありますよね。
あります、私は。
この本が、偏食に悩む誰かの助けになると信じています。

フランスの子どもはなんでも食べる〜好き嫌いしない、よく食べる子どもが育つ10のルール





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