子どもたちの夏休みの宿題って順調ですか?
我が家は、今度、日本へ一時帰国の予定なのですが、その予定を夫と話し合っている時のことです。
ふと夫が「うーん。。丸々2週間休むっていうのは無理だから、、、」と。
分かります。
そりぁそうですよね。
今が日本の夏休み中であるということもあり、日本に住んでる友達と「日本の小中学生の夏休みの宿題」について話したばかりでした。
それで思ったんです。
日本人って「休む」ってことが苦手ではないですか?
インターでもオーストラリアの学校でも夏休みの宿題なんてないんですよね。
だって「休み」ですから!
私も休めない人間です。
いつも自分に対して、今やるべきことリストを作っていて、そのリストが空になって私が休む日は一生来ないのが正直なところです。
だから日本人は勤勉なのだと思います。
そしてそれは日本人の強みでもある。
ただ、それが近年加速しすぎてはいないか?と、思いませんか。
日本型教育の現状と負担増の背景
詰め込み式カリキュラムは減っていない
日本の学校教育は、依然として詰め込み式の要素が強く残っています。
- 授業進度が早く、理解不足は塾や家庭学習で補う必要あり
- 学校外学習が増え、自由時間が減少
- 高学年は宿題+塾+習い事で平日が勉強中心に
この流れは、子どもたちの心の余裕や創造性を育む時間を奪う一因にもなっています。
受験の低年齢化と宿題の量
首都圏や都市部を中心に、中学受験を目指す家庭が増えています。
その結果、小学3〜4年生から塾に通うのが当たり前という空気が広がり、受験対策のスタート時期が年々早まっています。
学校の宿題に加え、塾のテキストや過去問、模試の復習まで取り組む必要があるため、子どもたちは常に課題に追われる状態。
「今日はやることがない」という日がほぼ存在せず、休息や遊びの時間が後回しになります。
親としては「将来のため」と考えがちですが、長期的に見ると学習意欲やメンタル面への影響も無視できません。
夏休みも宿題だらけ=「休む」経験の欠如
本来、夏休みは日常から離れて心と体をリセットする大切な期間です。
でも日本の夏休みは、休み中も勉強が忙しいですよね。

「休む力」も実は学びの一部ですが、日本の教育現場ではその重要性があまり認識されていません。
結果として、休み明けに疲れを残したまま新学期を迎える子も少なくないのです。
もちろん、海外でも勉強時間の長い子もいます。
習い事のスポーツで厳しい練習をしている子もいます。
でもその多くは、本人がそれが好きで楽しんでいる場合がほとんどではないでしょうか。
日本のような勉強への熱心さは、同じアジア圏では似た傾向の国もあると思います。
ただ、世界で見ると少数派です。
「夏休み」とは言っているものの、勉強を休むことはないというのが日本のスタイルです。
海外教育の時間の使い方と特徴
探究・プレゼンにたっぷり時間を使う授業
海外の学校では、単元を駆け足で終わらせるよりも、1つのテーマを深く掘り下げる時間が確保されています。
たとえばオーストラリアでは「海洋環境」というテーマなら、教室内の授業に加え、海辺での観察や資料収集、グループでの分析、そして発表会まで一連の流れを数週間かけて行います。
こうした探究型の授業は、単なる暗記ではなく「なぜそうなるのか」を自分で考える力や、人前で自分の考えを伝えるスキルを伸ばします。
長期休暇は宿題ゼロ、休むことを重視
欧米やオーストラリアでは、長期休暇に宿題を出さない学校がほとんどです。
その代わり、家族旅行や地域イベントへの参加、スポーツや趣味など、学校の外での経験を大切にします。
この「しっかり休む文化」により、心身のリセットができ、新学期の集中力や意欲が高まります。
日本のように長期休暇中も課題に追われる生活とは対照的で、子どもたちは休暇を「やらなければならない時間」ではなく「やりたいことに挑戦できる時間」として過ごします。
PBL(プロジェクト型学習)が自己効力感を高める理由
PBL(Project Based Learning)では、生徒自身がテーマを選び、調査・計画・実行・発表までを主体的に進めます。
重要なのは「先生から与えられた答えを探す」のではなく、「自分で問いを立て、自分なりの答えを作る」プロセスです。
心理学的にも、このような主体的な経験は自己効力感(Self-efficacy)を高めるとされ、将来未知の課題に直面したときに「自分ならできる」という自信と行動力につながります(Bandura, 1997)。
先生は叱るよりも、子ども自身に考えさせる
娘たちの通っている学校の先生達はけっこう厳しいです。
というのも、厳しく言わないと子どもたちがとても自由なので先生もやってられないということだと思います。
なので、注意された場合も、そのステップが決まっているらしいのです。
- レベル1クラス内での注意3回
- レベル2クラスの外に出されて、自分を授業を受ける状態に落ち着かせる時間を設ける
- レベル3クラスを追い出されて、別のクラスへ行ってそこの授業を受けなければならない
- レベル4校長室で説教を受ける
このレベル2のクラス外に出て、自分と向き合う時間を持つように言われるというのは興味深いなと思いました。
そして、この自分と向き合う時間は、友達同士でトラブルになった時にも設けられるようです。
娘たちは、授業で注意を受けるような性格では元々ないので、その経験はありません。
でも先日次女が、クラスメイトの女の子達同士でちょっとしたケンカになった際に、先生から言われ、「一人で落ち着いてFriendshipについて考えた」と、自然に言っていました。
オーストラリアの教育って、「生きるための教育」がベースにあるなと、思うことがよくあります。
なので、勉強には厳しくありません。
テストの点数がどうとかって話はほとんど出ません。
授業の理解度を図るためにテストをすることは当然あります。でもそれがすごく良くても、成績でAがつくわけではありません。
だから、授業で「学力」を鍛えることは、友達との「友情」を築くことや、自分の「感情」をコントロールすることと同じ重要度なのだと感じます。
近年の教育改革が間違った方向へ進んでいる理由
探究学習やグループワークを重視しつつも、教科書は分厚いまま
娘たちの学校では教科書はありません。オーストラリアのカリキュラムに沿って授業がされています。
なので、正直、先生の力量によって差が出るだろうなと思います。
ただ、先程も言ったように、オーストラリアの教育は「学力」の基礎を鍛えることと同じくらい、自分と向き合うことに重きがおかれます。
日本は、近年、海外の教育を見習って探究型学習やグループディスカッションが積極的に取り入れられているといいます。
優先度の高いものが増えるだけで、結果的には子どもの負担増
探求学習って、そんなに短時間でできるものではないと思うのです。
だって探求するわけですから。
でも、今の日本の教育カリキュラムだと物理的に無理があるはずです。
だって教科書がしっかりと分厚い。
もちろん、高い学力を維持したまま、グローバルに活躍できる人材をということもあって教育改革が行われているのだとは思います。
でもそれによって、「やらなければならないこと」が増えるだけの現状。
グループワークをどう理解するかによって変わる内容
長女が4年生の時に、日本の小学校に体験入学しました。
その時、ちょっとしたことも「隣の人と意見を交換してください」と言われたことに違和感を覚えたと言っていました。
他人と意見を交換したり、自分のアイデアを発言する前に、まずは自分がどう考えているのかをじっくりと考える時間が必要なはずです。
そして、その考えさせるような流れが授業内にまずはあるべきだと思うのです。
先生達のその理解も浅いのではと思う一方で、単純に時間が足りないということなのかもしれないと思いました。
自己肯定感は「自信があること」ではない
よく、海外の教育は「自己肯定感を育てる」と言います。
自己肯定感は、自分がそのままの自分でいいと、自身で認められることですよね。
ただ、そこに行き着くには「自己理解」と「自己受容」が欠かせないのではないかと思います。
海外の教育は、おそらく、自己理解と自己受容に時間を費やし、それによって他者を尊重するようになるのだと思います。
それが、結果的に自己肯定感の高さにつながるのだと思うのです。
自己理解
まずは「自分がどういう人間か」を知る段階。
- 得意・不得意
- 好きなこと・嫌いなこと
- 大事にしたい価値観
海外の教育は、この自己理解の機会が多くて、子どもが自分の特徴を客観的に見やすい環境になっています。
自己受容
自己理解で見えた「弱みや不得意」を否定せず、「それも自分の一部」と認める段階。
- できないことがあっても価値がある
- 弱みを他者に頼ってもOK
この受容ができると、劣等感や比較のストレスが減るそうです。
他者尊重
自己受容できる人は、他人の弱みや価値観の違いにも寛容になれる。
- 「自分が完璧じゃないから、相手も完璧じゃなくて当然」と思える
- 相手の良さや個性を認めやすい
結果としての自己肯定感
自己理解+自己受容+他者尊重の流れが積み重なると、「自分は価値のある存在だ」という安定した自己肯定感が育っていきます。
これは他人からの評価に大きく左右されないため、長期的なメンタルの安定にもつながるそうです。
海外型教育は、このプロセスを日常の学びやグループ活動の中で自然に経験できるように設計されているのが強みです。
一方で、日本型教育は成績や点数での評価が中心になるため、このプロセスが意識的に組み込まれていないことが多いという課題があります。
まとめ:教育の「引き算」で未来の力を育てる
日本型教育は、勤勉さや基礎学力、計画通りに物事を進める力を育てるという大きな強みがあります。
一方で、その強さが行きすぎると、「休むことができない」状態や、自己理解・自己受容の不足につながるリスクもあります。
海外型教育は、自由度や自己表現、他者尊重を自然に育む仕組みが多く、長期的なメンタルの安定や変化への柔軟さを育てやすい環境です。
しかし、基礎学力や学習習慣は家庭や本人の自主性に任される部分も多く、そこが弱点になることもあります。
つまり、どちらが正解かではなく、両方の良さを取り入れる「ハイブリッド」な学びが、これからの時代に必要です。
具体的には――
- 長期休暇は半分を「休む日」にする
- 探究や自己表現の時間を意識的に増やす
- 成績だけでなく、学びのプロセスや人間関係の成長も評価する
「足す」教育ではなく、「引く」教育を考えることで、子どもたちが本当に必要な力――自己理解、自己受容、そして揺らがない自己肯定感――を育てる時間が生まれます。
その先に、学び続ける意欲と、変化を楽しめる人生が待っているはずです。
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