「勉強が苦手だと、この先大丈夫かな?」
子どもを見ていて、そんな不安を感じたことがある方は多いと思います。
算数の文章題につまずく。
漢字がなかなか覚えられない。
机に長く向かうのが苦手…。
そういう姿を見ていると「中学受験は難しそうだし、このまま将来どうなるんだろう」と心配になるのも自然なことです。
でも、実はそこに別の可能性があります。
勉強が得意じゃなくても、英語に力を入れることで未来の選択肢は大きく広がる のです。
これはきれいごとではなく、社会の現実や世界での日本人の立ち位置を考えると、十分に裏付けのある考え方です。
なぜなら、日本の子どもたちは「勉強がちょっと苦手」というレベルであっても、世界基準で見ればすでにかなり強い土台を持っているからです。
日本人の基礎能力の高さ
世界から見たら、日本の“当たり前”がすでに強み
日本の公立小中学校で学ぶ内容は、世界的に見ても基礎力がとても高い水準にあります。
例えば算数の計算力、理科の観察や実験の経験量、国語での読解力など。
これらは、実は多くの国の同年代の子どもたちよりもしっかり鍛えられています。
今、私はオーストラリアに住んでいますが、娘たちは現地公立小学校へ通っています。
6年生になっても簡単なわり算ができない子もいます。
九九を暗記していないので、わり算のやり方を説明するのに九九を使って計算の仕方を教えようとすると全く理解させてあげることができないということも起きます。
娘たちの小学校は留学生を受け入れているのでクラスに2人くらいオーストラリア育ちでない子がいます。
ですからほとんどが英語圏であるオーストラリアで生まれ育った子達です。
でも、先日学校でやったSpelling Beeという誰が一番正しくスペルを書けるかという大会で、次女はクラス1位でした。
終わってから「なんで〇〇は日本人なのにそんなに英語が書けるの?!」とクラスメイトに驚かれたそうです。
ただ、もらってきたSpelling Beeに出る単語を書けるようにして行っただけです。本当にそれだけですが、他の子はそんなことはしてきません。
それが、娘の学校では「普通」なんです。
社会性・生活習慣も国際的に優秀
さらに、授業を静かに受ける、時間を守る、順番を待つ、教室を清掃する…。
こうした「社会のルールを守る力」や「協調性」は、世界に出ると驚かれるほど評価が高いポイントです。
日本の子どもにとっては“当たり前”でも、国際社会では立派な強みになります。
2年ほど前、一時帰国中に日本の小学校で体験入学をさせてもらいました。
当時の娘たちはインターに通っていました。長女いわく、インターのほうがオーストラリアの学校よりみんなの態度はマシだそう。
それでも驚いていました。
初日の感想は、「みんなすごいちゃんとしてる。」です。
すごく細かいルールが多いとも感じたそうですが、それをみんなが守っているのがかなりすごいと言っていました。
例えば、給食当番はならんで給食室へ給食を取りに行き、帰りも並んで帰ってくる。
配膳後はみんなが席につくのを待ち、みんなで一緒に「いただきます」をする。
食べ終わった人から昼休みにならず、「ごちそうさま」の時間になるまでは食べ終わっても席に座ってみんなが食べ終わるのを待つ。
こういう、日本で育った私からすると普通のことが、長女の目には
「すごい訓練されている。。。」と映ったそうです。
普通に育つだけで世界基準をクリア
つまり、日本でごく普通に育ち、学校に通っているだけで、すでに「世界基準では上位層」に入っていることが多いのです。
「勉強が得意じゃない」と感じる子どもでも、海外に出れば十分に通用する土台を持っている。
この事実をまず親が理解することが、安心につながります。
これは私の肌感ですが、うちの娘達はクラストップレベルで英語力のバランスも取れているし、算数なんかはずば抜けてできます。
次女はYear3ですが、次女の友達は「can」のスペルもわかっていません。
さすがにそれはないでしょ!と思いますよね?
でも、それが本当にあるんです。
だから英語が第二言語である娘たちが、スピーキングでは敵わなくても、リーディング等4スキルの総合であれば周りの子達を超えてしまうのです。
算数だってそうです。うちの娘達がとても賢いのかというと、全然そんなことありません。
日本だったら普通です。
基礎だったら問題なくできます。でも応用問題をやらせたら普通につまづくレベルです。
でもここでは「ずば抜けて」できる人になっているんです。
アジア人 vs 白人の勉強観の違い
勉強=人生の勝敗を決めるアジア
日本や中国、韓国といったアジアの国々では、子どもたちは小さい頃から「勉強=人生を左右するもの」として育つ傾向にあります。
受験が将来の進路を決める大きな分かれ道であることを、親も子どもも強く意識しています。
だから、日々の勉強や塾通いに全力を注ぐ文化が根付いているのです。
勉強=人生の一部にすぎない欧米
一方で、欧米の多くの国では「勉強は大事だけど、人生の一部でしかない」という考え方が一般的です。
スポーツやアート、コミュニケーション能力など、学力以外の部分に重きを置くことも多く、勉強で全力を尽くさない子どもも珍しくありません。
「そこそこでいい」という空気感があるのです。
ここの差について、私はアジアから出てみて初めて知った衝撃的なことでした。
オーストラリアに来る前はインターでしたが、アジアの国だったので、生徒もアジア系の子が多かったです。
もちろん勉強は全く力を入れていないという家庭も多くありましたが、しっかりと勉強させるという家庭もありました。
その点では、日本の感覚に近く、家庭により考えや方針の違いはあれどそれなりにきちんと勉強するという印象です。
オーストラリアでは本当に「勉強する」ということに真剣に向かい合っている家庭をまだ見たことがありません。
実力勝負だとアジア人が強い
この違いは、アメリカの名門大学の入試でも現れています。
アジア系の学生は学力試験で非常に高い成績を出すため、本来ならもっと多く合格してもおかしくない。
ところが「多様性を保つ」という理由で、合格枠を制限されることもありました。
それがいわゆる 「Asian Overrepresented」問題 です。
「Asian Overrepresented」問題とは、、、
アメリカの名門大学で、テストの点数や成績だけで選ぶとアジア人ばかり合格してしまう。
大学は多様性を保ちたいから、アジア人の合格率を下げる仕組みが長年あった。
👉 要するに 「学力勝負ならアジア人が強すぎる」 という現象。
つまり、勉強で実力勝負になればアジア人は圧倒的に強い。
でも欧米では「学力だけでは評価しない」文化もあるため、出世やポジション取りには別の要素が働くことが多いのです。
卒業後の社会でどう響くのか
たとえば会社に入ったあと。
数字や専門知識で圧倒的に結果を出しても、会議で黙っている人は評価されにくい。
逆に、多少内容が薄くても、自信満々に意見を言える人のほうが「リーダーに向いている」と見なされます。
また、ランチや飲み会の場で上司と自然に会話できる人、ネットワーク作りが得意な人が、昇進のチャンスをつかむことも多い。
こうした文化では「学力や実務力だけで勝負するアジア人」は、出世レースで不利になりやすいのです。
だから欧米社会では、勉強だけでなく 英語で自分を表現する力、コミュニケーションで信頼を築く力 が欠かせない。
ここが、ただ「勉強ができる」以上に大切なポイントになります。
勉強が苦手でも「英語」だけ伸ばせる可能性
勉強が苦手のタイプを見極める
「勉強が苦手」といっても一括りにはできません。
- 暗記が苦手タイプ:漢字や歴史の年号をすぐ忘れる
- 集中が続かないタイプ:机に10分も座っていられない
- 論理が弱いタイプ:算数や理科の文章題が苦手
- “勉強”そのものが嫌いタイプ:やらされ感があると拒否反応
日本の受験型教育では、これらのタイプの子は「不利」に見えます。
でも英語に関しては、ここにむしろ強みが隠れていることがあるのです。
英語は「生活と趣味」に直結できる
英語は、机に向かって教科書だけで学ぶ必要はありません。
- 好きなアニメやゲームを英語音声で楽しむ
- YouTubeやTikTokで海外のクリエイターを追う
- オンラインゲームで海外プレイヤーとチャットする
- 推しの洋楽を丸ごと歌えるようになる
こうした体験型の学びは「勉強が嫌いな子」ほどハマりやすく、長続きしやすいのが特徴です。
“勉強が苦手”な子が英語で伸びるケース
- 机に座るのが苦手でも、ゲームをしながらなら数時間でも英語に触れ続けられる。
- 暗記が苦手でも、歌や映画のセリフは自然に覚えてしまう。
- 論理に弱くても、会話フレーズをそのまま真似すればコミュニケーションはできる。
つまり、学校的な「勉強の型」に合わない子でも、英語なら違うルートから爆伸びできる。
“使える英語”が武器になる
そして英語の本質は「使えること」。
テストの点数より、実際に会話できるか、相手とつながれるかが評価されます。
たとえば、勉強が苦手で高校偏差値は普通でも、
- 海外留学先で授業を英語で理解できる
- インターンで英語でレポートや会議に参加できる この力があれば、学力上位の子を一気に逆転することも可能です。
勉強が苦手でも「英語」できれば世界で稼げる
日本国内のケース
日本で「学力は中の下くらい、でも資格や技能はある」という人が就ける仕事。
たとえば営業職や一般事務、サービス業など。
年収レンジは 400万〜600万円 が一般的です。
安定はしているけれど、「飛び抜けた報酬」にはなりにくいのが現実です。
海外で同じ人材が働いたら?
もし同じ人が「英語を問題なく使える」状態で海外で就職すると、一気に条件が変わります。
- オーストラリアのホワイトカラー職:年収 700万〜1000万円
- シンガポールの外資系オフィスワーク:年収 800万〜1200万円
- アメリカの大都市圏なら:年収 1000万円超 も珍しくない
つまり、同じ能力でも英語力があるだけで収入が倍近く違うことは普通にあるのです。
でも物価が違うから結局の生活水準は同じでは?と思うかもしれません。
私はオーストラリアに住んでいるのでオーストラリアを例に取ると、
確かに家賃と外食は日本の2倍〜3倍だと思います。
でも、スーパーで食材を買ってきて自炊すればそんなに高くないと思います。
卵は1パック6ドル以上しますが、パスタは1袋1ドルで買えます。
野菜も人参は年中安くて1キロ2ドルしません。
工夫が必要ですが、とにかく高いのは家賃と外食という印象です。
日本の「普通」が海外では武器になる例
日本の教育や社会で「当たり前」とされることが、海外に出ると強みになるケースはたくさんあります。
事務スキル
日本ではエクセルで表を作る、書類を丁寧に処理するのは普通のこと。
でも海外では「期限を守って、正確に処理できる」人材はかなり貴重です。
英語でやりとりできれば、現地オフィスの中心人物になれる可能性があります。
接客マナー
日本での接客は細やかで丁寧ですが、海外では「笑顔で気配りできる人」は即リーダー候補。
英語ができれば、ホテルや旅行業界で現地スタッフより高い評価を得ることが多いです。
真面目さ・責任感
日本では当たり前の「遅刻しない」「指示をきっちり守る」という姿勢。
海外では「信頼できる人材」として大きな評価につながります。
ここに英語力が加われば、リーダー職に抜擢されることも珍しくありません。
ポイント
つまり、日本では「勉強そこそこ」「学歴は中の下」でも、海外で見たらベースラインが高い。
そこに 英語力をかけ合わせると、一気に“貴重な人材”に化ける。
結論
日本の子どもたちは、世界的に見てもすでに 高い基礎力 を持っています。
小中学校で学ぶ内容は多くの国よりレベルが高く、社会のルールを守る力や協調性も国際的に評価されるほどです。
だから「勉強が苦手だから将来が心配」と思う必要はありません。
むしろ、日本の教育で育った時点で、世界基準ではすでに十分に強い土台を持っているのです。
そこで親が考えるべきは、その土台に何をプラスするか。
もし英語をしっかり伸ばせば、海外で働くチャンスや収入の幅は一気に広がります。
日本の中では「勉強が苦手」に見える子どもでも、英語が武器になれば「どこでも通用する人材」に変わるのです。
――だからこそ、思い切って「英語を伸ばすことに振ってみる」という選択肢があってもいいのではないでしょうか。
学校の勉強は基礎ができれば十分。あとは英語力に全力投資。
実はそこが、子どもの未来を切り開く一番大事なポイントなのかもしれません。





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