バイリンガル育児。
探究学習。
基礎学力の底上げ。
思考力。表現力。
そして「ぼーっとする時間」も大事にしたい。
今の時代の子どもにとって、本当に家庭で伝えるべきことは何なのか、日々考えています。
どれも大切。どれもやりたい。
でも、全部を同時に叶えるには、あまりにも険しくて長い道。
気を抜けば、どれかがすぐにこぼれ落ちそうになる。
でも、こぼれたくない。
だって、子どもたちの未来がかかってるから。
でもそれは、ただの親のエゴでしかないのかもしれない。
本当にそうだろうか?
私は自分の子ども時代に家庭で親からこんなアプローチをしてもらえてたら良かったなと思うことをやっているつもりですが、私と子どもは違う人間だしな。。。といつもグルグルしているのが現実です。
我が家のリアルな日常
我が家には、現地校に通う小学生が2人。
バイリンガル育児なんて言葉にすると聞こえは良いけれど、
実際は英語も日本語も「ネイティブレベル」にするには、
親が“死ぬほど本気”じゃないと無理だと思ってます。
学校に任せてるだけじゃ足りない。
家庭での基礎学力強化
英語も、家庭で補強。
日本語は、家庭でしか補強されない環境。
どっちも“土台からつくる”感覚で、毎日向き合っています。
インター時代を含め、子どもたちは7年ほど英語で教育を受け続けていますが家でも勉強しないとネイティブと同等に戦うのは厳しいと感じています。
家庭でも探求学習を。良い習い事が見つからなかったので作りました。笑
それと我が家には、マイクラ村があります。
ここでは「思考力」や「探究力」を、遊びの中で全力で鍛えようとしています。
これは放課後にやっているのですが、最初は習い事として何かいいものがないかと探しました。英語でもいいし、日本語のオンラインでも良かったのです。
探求学習を本気でできそうな習い事ってどんなのがあるだろうと真剣に調べましたが、見つかりませんでした。
もちろんもっと深く探すという方法もありましたが、それよりも自分で作った方が早い!という決断に至りました。
最近のテーマは「経済の仕組み」。
私を含め使い方がまだよく分かっていないがゆえ、使い道の乏しいレッドストーンを通貨として、自分たちの店の商品に価格を設定することにしました。
マイクラ玄人のみなさんからするとレッドストーンを使いこなせていない低次元の話で恐縮ですが。。
いざすべての店の商品に値段をつけようとすると、統一したルールが必要ではないかということに気づくのです。
その統一ルールを作るためには、その商品を作るまでにどれくらいのコストがかかったかをポイント化していくことがいいのでは?という考えまでたどり着きました。
さらには、エフォートコストまで話す8歳と11歳。
要は人件費ですね。
マイクラでざっくりとした経済の初歩を学んでいるのですが、本人たちはただ遊んでいるだけのつもりなので楽しんでいます。
我が家の一番の優先事項は睡眠時間
睡眠時間は絶対死守。
起きる時間も、寝る時間も、生活リズムは家庭の軸。
我が家は幼い頃から睡眠時間だけは徹底して守っています。
平日は毎日同じ時間にベッドに入り、朝は毎朝同じ時間に起きます。
週末は私がゆっくり寝たいので自由なのですが、子どもたちは生活リズムが確立されているのでいつもとだいたい同じ時間に起きます。
なぜこうしているかというと、起きている時間にすごくたくさんのことを吸収しているのを一つ残らずきちんと習得してほしいからです。
あとは睡眠不足だと起きてる時間のパフォーマンスが落ちるのでそれはとても勿体ないとも思っています。
いつボーっとする?問題
こうやって書いてみると、“やってること”はいっぱいあるんです。
でも“余白”がないのも事実。
「今のままでいいのか?」
「もっとぼーっとする時間、増やすべきなんじゃないか?」
って、ずっと問いながら走ってます。
人間、ボーっとする時間ってやっぱり生活の中にはとても大事だと感覚的に思うのです。
完璧主義 vs. 柔軟性の葛藤
正直、毎日グラグラしてます。
「英語も、日本語も、基礎学力も、探究も、表現力も、全部大事だよね…?」
「でも、それ全部やろうとしたら、子どもの自由時間なくない?」
「いや、でも自由に過ごすだけで、本当に地力って育つ?」
…っていう葛藤。
私の中にいる“完璧主義な母”は、常にこうささやいてきます。
「今、手を抜いたら後悔するよ」
「みんなが遊んでる時間にコツコツやった子が将来伸びるよ」
「どうせやるなら、ちゃんとやらせてあげたい」
でも一方で、“柔軟な母”もちゃんといます。
「もっと気楽に、のびのび育てたって良くない?」
「子ども時代は一回きり。もっと遊ばせてあげた方がよくない?」
「今がしんどすぎたら、学ぶこと自体が嫌いになるかもよ?」
この2人が、私の中で日々バチバチに言い合ってます(笑)。
たぶん私は、どちらかというと完璧主義タイプ。
失敗することが怖いんですよね。
失敗することから学ぶことがたくさんあるのだから、むしろ失敗すべき!失敗大歓迎!と、頭では思っています。
でも怖いんです、おそらく。
“どうせやるなら、できるだけベストを尽くしたい”っていう気持ちがめっちゃ強くなってしまうんですね。
でも最近、「それって、全部子どものためって思ってるけど、実は“自分のため”でもあるよな?」ってふと思って。
「ちゃんと育ててるって思いたいだけじゃないの?」
「“この子は将来困らない”って、自分が安心したいだけじゃない?」って。
日々、悩み続けております。。
それでも、私が信じたいこと
完璧主義と柔軟性の間で、日々揺れまくってる私ですが…
それでも、「親がどれだけ本気で子どもと向き合ったか」って、ちゃんと伝わるって思いたいんです。
完璧にやる必要はない。
でも、本気で悩んで、本気で考えて、本気で試行錯誤してる姿って、
きっと子どもたちはちゃんと見てると思うんです。
だから私は、まだ正解なんて分からないけど、こう思ってます。
子どもを信じるには、まず自分の行動を信じられるように動くしかない。
何かを押し付けたいわけじゃない。
でも、私が本気で悩んで選んだ道なら、そこにはちゃんと意味がある。
そして、そのプロセスごと見せることが“教育”になるんじゃないかとも思ってます。
うちの子たちは、私が必死であれこれ調べたり、悩んだりしてるのを日々見てます。
「あーでもない、こーでもない」って、私がぶつぶつ言ってるのも聞いています(笑)
時々、ママ友が子どもたちの前で私を褒めてくれることがあったりして、それにもとても支えられています。
「こんなお母さん他にいないよ?あなたたちのお母さんは本当にすごいお母さんだよ!」とか言ってくれるママ友もいて。
第三者にそう言ってもらうと、私が安心できるのはもちろん、子どもたちも私がしていることを前向きに受け止めてくれるようになる気がしています。
私は子どもたちに、自分の友達と同じ感覚で全てを話しています。
自分の悩みも、バイリンガル育児の悩みも、これからの未来に適した学びとは何かと考えていることも。
なんならオーストラリア移住にかかっている費用も、夫の収入も全部聞かれたことには何も隠さずに話します。
だってそれが現実だから。
長女はもう11歳です。
もちろん子供らしい一面はあるけれど、もう私と同じ、またはそれ以上の視座でものごとを捉えていることもあるんです。
なので、お金の話だろうがなんだろうが聞かれたら、事実を伝えます。
現実を知っていきながら、自分の未来を考えてほしいなと思います。
それは進路とかそういうことだけでなく。
自分はどんな未来を思い描いているのか。
どんな未来を期待しているのか。
そのためにはどんなことをする必要があるのか。
いつか彼女たちが、自分で自分の人生を選ぶ日が来るまで、
私はその背中をそっと押しながら、ときには一緒に悩みながら、
今日もこの山道を走っていこうと思います。
でも時々は、足を止めて風を感じたり、ぼーっと空を見上げる余白も忘れずに。
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