「ママ友問題」で悩んでいた私が、“自分軸”に気づくまで——海外子育て8年のリアル

母の異文化奮闘記

先日、noteで「ママ友はいなくてもいいって、いつから思えた?」という記事を公開しました。

「ママ友はいなくてもいい」って、いつから思えるようになった?|Ella
昔の私は、ママ友がいたほうがいいと思っていました。 「ママ同士が仲良くなって、子どもたちがプライベートでも遊べるように」と、心のどこかで焦っていたかもしれません。 娘たちが幼稚園生だった頃 幼稚園くらいの年齢って、友達と遊ぶとしても親同伴に...

反響をもらったり、読んでくれた方から共感の声もあったことで、改めて「海外でのママ友関係」についてもう少し深掘りしてみたくなりました。

今回は、“自分軸”に気づくまでの道のりを振り返ってみたいと思います。

子育てに正解なんてないけれど、誰かのヒントになればうれしいです。

海外ママ友は「優しさ×距離感バグ」でできている

海外での子育てが始まった当初、まず驚いたのは“ママ友文化”の違いでした。

お迎えのときに気さくに話しかけてくれたり、

「今度ランチに行こう!」と誘ってくれたり。

その温かさに、最初はとても感激したのを覚えています。

でも、すぐに気づいたんです。

この“親切さ”は、文化でもあり習慣でもあり、時に試練にもなるのだと。

たとえば、ママ同士でのランチやコーヒーモーニング。

「赤ちゃんも一緒で大丈夫よ」と言ってくださるので、まだ1歳になるかならないかの次女を連れて何度か参加しました。

けれど、次女の機嫌を気にしながら英語での会話を聞き取り、話を振られたら必死で英語で返すというのは、正直とても疲れました。

そのあと長女を迎えに行くまでの時間も、気が抜けないまま過ぎていきます。

「楽しいはずのランチの時間なのに、全然リラックスできていない」

そんなふうに感じることが、何度もありました。

とはいえ、周りのママたちは本当に優しい方ばかりでした。

だからこそ、断りづらいし、自分だけ浮いてしまうのも怖い。

「輪に入らなければ」「娘たちのチャンスを狭めたくない」

そんな思いが常に心のどこかにあって、

気づけば“がんばって場に合わせる”ことが、日常になっていました。

なので、長女がプリスクールで、次女が就学前はほとんどママ友との付き合いはしていませんでした。

当時、長女は朝はスクールバスで学校へ行っていたので、お迎えの時に笑顔で他のママたちに挨拶するということだけを徹底。

それ以外は、次女と自宅でのんびり過ごしました。

“Just Say Yes”の1年——英語と自分に向き合った日々

2022年の私は、どんなお誘いにも「Yes」と答えることを自分のルールにしていました。

ママ同士のランチ、カフェ、プレイデートの付き添い、バドミントン、陶芸、クロシェット、ヨガ……

本音を言えば、そこまで興味のある内容ばかりではありませんでした。

でも、「子どもたちの友達関係のチャンスを逃したくない」

「私が外国人ママたちと距離を縮めることで、娘たちにも良い影響があるかもしれない」

そんな思いが、常に背中を押していました。

英語が得意なわけではありません。

今でも、正直に言えば自信はありません。

それでも、「聞くこと」「話すこと」「仲を深めること」を優先に、積極的に場に出続けました。

プレイデートに誘っていただき、外国人ママたちのお宅へ遊びに行かせてもらったり。

自宅にも何度かお招きしたことがありました。

文化の違いや価値観の違いに戸惑うことも多かったですが、得たものは本当にたくさんありました。

ただ、それ以上に、正直「疲れていた」というのが本音です。

朝は子どもたちを学校へ送り届けて、そこからそのまま外出。

午後には学校へ迎えに行き、習い事へ送り、帰宅後はようやく家事に取りかかる。

夕方になっても朝の食器がそのまま、洗濯機も回せていない、そんな日も少なくありませんでした。

でも不思議なもので、そんな日々を振り返ると、どこか楽しかった記憶が残っているのも事実です。

流暢な英語が話せるわけでもないのに、たくさんのママたちが誘ってくれたこと。

英語ネイティブのスピードにまったく追いつけないまま、

それでも教育や子育ての深い話題に容赦なく巻き込んでくれたこと。

英語力だけでなく、考え方や感情の伝え方まで、学びにあふれた1年でした。

振り返ってみれば、この「Just Say Yes」の期間は、

英語だけでなく、自分自身の“限界”や“軸”に気づくきっかけでもあったように思います。

「私は、もう十分頑張った」——“自分軸”の芽生え

2023年、あるとき突然、心の中で何かの糸が切れたような感覚がありました。

「もう、がんばらなくてもいいのでは?」

そう思いました。

もちろん、2023年も「Just say Yes!」の精神で!!と思う自分もいました。
でも少し休みたいとシンプルにそう思った記憶があります。

そこから少しずつ、自分自身のために使う時間や、子どもたちの日本語や英語を補うための時間を増やしていきました。

もちろん、話しかけてくれる人とは友好的にお付き合いしていたし、全てをなくしたわけではありません。

そして、ふと気づけば、私が仲良くなっていたママたちの多くは、

娘たちが仲良くなった子どものお母さんでした。

つまり、子ども同士の関係性を軸に自然と広がったつながりだったのです。

これまでの私は、どこかで「私がつながりを作らなければ」「私が広げなければ」と思い込んでいました。

けれど、子どもたちはもう、自分で関係を築く力を持つ年齢になっていたのです。

私が手を引くことで、むしろ自然な関係性が築かれることもあるのだと実感しました。

それに、何よりも感じたのは、自分自身もひとりの生活者として、もっと丁寧に暮らしたいという思いです。

子どものために、家族のために、英語力のために――

そんなふうに「〇〇のために」と動くことが続いていたけれど、

ようやく、「私はもう十分頑張ってきた」と、心から思えるようになりました。

“がんばる母”であることを手放すのは、勇気がいりました。

けれど、それは決して「放棄」ではなく、「信頼」だったのだと思います。

子どもたち自身の力を信じて、私は一歩、後ろに下がる。

それが、私にとっての“ちょうどいい距離感”だったのです。

ママ友ゼロ、でも“今の自分”が一番自然体

オーストラリアに来てからは、学校に「ママ友」と呼べる人は一人もいません。

最初は、正直少し不安でした。

もっと自分から話しかけたほうが良いのかもしれない、

関係を築いておいたほうが、子どもたちのためになるのかもしれない……。

そんなふうに考えることもありました。

でも、次第に気づいていきました。

こちらでは、親同士が積極的に交流を深める文化があるわけではないことに。

今まではインターだったのですが、ここオーストラリアでは公立の現地校です。

日本に置き換えて考えたら当然ですよね。
そんなに頻繁に、ランチしたり、コーヒーモーニングをしたりってないですよね。

誰かと距離を取っているわけではなくて、自然と“ほどよい距離感”が保たれている。

話しかけられたら話すし、隣に座った人とは軽く会話をする。

でも、それ以上を求めすぎない。

そんな空気の中で、私は肩の力を抜くことができるようになりました。

娘が学校でプレイデートの約束をしてきたときも、

相手のお母さんから直接声をかけてもらって娘をお宅へ送ることはあっても、

「自分がもっと積極的に誘わなければ」といった焦りは感じなくなっていました。

私たちは学区外から通っていて、学校まで車で20分ほどかかります。

そのこともあり、「人様の子どもを車に乗せること」に抵抗を感じる自分もいます。

以前の私なら、「私が娘の人間関係を広げるために動かないと」と思っていたかもしれません。

でも今は、そういう選択も「私らしさ」でいいのではないかと感じています。

娘たちは、ちゃんと自分で関係を築いていっています。

私は、その背中をそっと見守りながら、必要なときだけそばにいればいい。

ママ友がいなくても、子どもたちは元気に育っている。

それが、何よりの答えかもしれません。

なので最初はとても不安もありましたが、今は自然に身を任せています。

正直今も、これで本当にいいのだろうか?と思うところもあります。
でも、オーストラリア人のように生きてほしいのかと子どもたちに感じているかというとそれもありません。

オーストラリアの文化の中で、たくさんのことを学んでほしいけれど、オーストラリア人のようになってほしいわけではないということにも気づきました。

つながるって頑張らなくてもいい

私は今でも、ママ友の存在に感謝しています。

娘たちがまだ幼かった頃、右も左もわからない異国で心を支えてくれたのは、間違いなくママ友たちでした。

子どもたちの成長を一緒に見守ってくれる仲間がいる。

言葉が完璧に通じなくても、なんとなく気持ちを理解し合える。

そんな関係に救われた日もたくさんありました。

でも、だからといって、

「がんばってつながり続けること」だけが、正しいわけではないと今は思います。

人には、それぞれのフェーズがあります。

子どもが成長していくように、親もまた変わっていく。

自分のエネルギーの使い方も、人との関わり方も、少しずつ変化していくものです。

「ママ友はいなくても大丈夫」と思えるようになったのは、

私が“孤立”したからではなく、

子どもたちにとって本当に必要な友達は子どもたち自身で見つけてくると知ったからです。

がんばりすぎなくても、人は自然とつながる。

無理に合わせなくても、必要な人とは出会える。

そう思えるようになった今の私は、以前よりもずっと自由で、ずっと自分らしくいられています。

あなたは、どうですか?

何かのきっかけで、心がふっと軽くなる瞬間が訪れたことはありますか?

人間関係や母としての在り方に、迷いを感じたことはありますか?

もしそうなら、一度「がんばらなくてもいい自分」を許してみてほしいと思います。

その先に、きっと新しい気づきがあるから。

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