家族構成、家族の進む将来の方向性によって大きく変わる
オーストラリアに引っ越してきて4ヶ月が経ちました。
子供を連れて海外に住んでいるとみんなが悩むと言っても過言ではないのが日本語問題。
幼い頃からインターや現地幼稚園に通っている場合は、その子の第一言語が英語という家庭もありますね。
お父さんが英語ネイティブだと、家庭内の会話が英語になり、
結果、英語がメインの言語になるというパターンも多いかもしれません。
我が家は、両親が日本人なので日本語を捨てるという選択肢はありませんでした。
日本語を捨てない理由1。何歳になっても親子で深い会話ができるように。
正直、私はこれが一番の理由なのかなと思っています。
もちろん、私も夫も英語を頑張ります。
でも、娘たちのようになるのは無理かなと思っています。
そもそも耳が全然違います。
オーストラリアではPoemのことを「ポエム」よりも「ポウム」に近い音で発音します。
でも私が娘たちを真似すると、発音は「Poum」となり、それは「Poem」とは言っていないと指摘されるんですね。
彼女たちからしたら当たり前のことが私には全然わからないのです。
なので、娘たちが英語しか話さなくなってしまったら、私と娘たちとはコミュニケーションは普通に取れても何か真剣に深く掘り下げて話すことが難しくなると思います。
ママは英語を頑張る、娘たちは日本語を頑張る。
結果、親子間の会話に関しては英語と日本語のミックスでもいいかなとさえ思っています。なぜなら親子間の会話って伝わることが最も重要だと思うので。
日本語を捨てない理由2。有事の時には日本へ帰る。
子供達はまだ小学生で、親と一緒でなければ生活ができません。
2020年3月末、私たちは住んでいた家はそのままに、スーツケースだけ持って日本へ避難帰国しました。コロナです。
結局夫は数ヶ月で現地へ戻りましたが、私と子供達が戻ったのはそれから1年以上経った2021年6月でした。
私も夫も日本人なので、何かあれば日本へ戻るのです。
海外で暮らすことは学びが多く、非常に刺激的で私は大好きですが、やはり外国人として住むことは母国に住むのとは違います。
子供達が小さいからこそ、私はいつも「日本へ帰る」という選択肢を頭から消したことはありません。
日本へ帰ると、ほとんどの地域では英語で生活するのは難しくなります。
これは日本の素晴らしいところでもありますが、日本は本当に日本語だけで生活しているんですよね。
長女はもう高学年ですし、日本語もネイティブとは言えなくても年齢相応の内容にギリギリついて行けるくらいの日本語力はキープしたいとずっと思っています。
日本語を捨てない理由3。祖父母や従姉妹との交流。
どんなに一生懸命母親が子供を育てていても、両親だけではできないことってたくさんありますよね。
友達としか経験できないことがあるように、
祖父母や従姉妹とのコミュニケーションってすごく大切だと思っています。
私たちはずっと海外に住んでいるので、年1回ほどしか会えません。
しかも今年はオーストラリアに引っ越して、スケジュール的にも金銭的にも日本へ一時帰国することができませんでした。
そんな娘たちは、日本にいる家族とはGoogleチャットやLINEを使って連絡を取り合っています。
もちろんビデオコールで直接話すこともありますし、チャットで文章を送ることもあります。
家族は英語はほとんど分からないのでやり取りは全て日本語です。
でも今は、日本語を頑張ってきたおかげでちゃんとコミュニケーションが取れるので、娘たちも本当に楽しそうに色々な話をしています。
従姉妹とは大好きなマイクラをオンラインで一緒にプレイしたりして。
テクノロジーに感謝しつつ、大事な家族とのコミュニケーションを楽しめています。
日本語を捨てない理由4。日本人の厳しい日本語ジャッジ。
日本人は、日本語ネイティブの中だけで生活していると言ってもいいくらい本当に移民が少ない国だと思います。
もちろんここ数年で本当に外国人労働者は増えているし、移民も増えてきてはいます。
それでも、私の実家のある首都圏郊外の市では、一時帰国しても日本語しか使いません。
外国人労働者の人に会うこともほとんどない印象です。
日本人が認める日本語って、英語ネイティブが認める英語とはレベルが桁違いなんじゃないかなと思っています。
私たちのように、見た目も国籍も日本人だと日本語がネイティブレベルにあって当然と無意識に思われていると思います。
これって、非常に面白いなと思う側面もありまして。
日本人が思う日本語ネイティブって語彙量とかではないんですよね。
語彙量とかでいくと、同じ日本人でも人によって差がすごいと思います。
日本人が「この日本語おかしい」と感じるポイントって、助詞の使い方が適切であることとか、イントネーションが正しいかとかそういうところだと思います。
イントネーションで言うと、方言は?ってなるのですが、方言は正しい日本語の種類の一つと認識されている感覚です。
方言として成立する全体的な方言イントネーションならOKだけど、標準語を話しているのに何かの言葉だけがイントネーションがズレると違和感を感じるんだと思います。
なので、この厳しい「日本人としての日本語」にできる限り近づけたいと思っています。
というのも、みんな「海外育ち」と知れば理解はあると思います。
でも、忙しい時、急いでいる時、よく分からない日本語を話す人に苛立ちやすい傾向にあるのかなと思うのが正直なところです。
それは、その人が悪いとかそういうことではなく。
下手な日本語を話す人と、何かを一緒にやるという経験があまりにも少ないからそうなるのだと思います。単純に経験したことがないからストレスを感じる。
誰も悪気はないし、悪くもない。
ただ、それが娘たちにとっては辛くなることもありそうだなと思ったりはします。
日本語を捨てない理由5。日本でさまざまな体験ができる機会が増える。
これは逆パターンでは英語にも同じことが言えるのですが。
日本語ができると、日本へ一時帰国した際にさまざまなイベントやセミナーや体験ができます。
私は去年、一時帰国した際、長女を「こども国会」に参加させました。
他にも、図書館でのしおり作り、パン教室体験、子供向けオーケストラコンサート、でんじろう先生のサイエンスショー、プラネタリウム、職業体験セミナー等、本当に色々な体験ができました。
日本でのこういうイベントは、まず親である私が探すのが楽です。
内容を理解するのが早いので、短時間で色々な情報を取ってくることができます。
そして、日本ならではの企業を知ることができたり、普段関わることのない日本人の大人や子供たちをコミュニケーションをとる機会が持てます。
私たちはオーストラリアの前は英語圏ではなかったので、こうして学校外で何かに参加しようと思っても現地語は最低限しかわからないので、何を言っているのかわからないことが多かったです。
日本語習得は家庭学習のみ
家庭学習は、習慣づけすることがおそらく一番難しいと思います。
逆に、習慣づけさえできてしまえば、最低限日本人として円滑に会話したり、学年相応の問題を解いたりというのは家庭学習だけで十分可能だと思います。
毎日やることを習慣づけること。
その習慣を母は死守すること。(ここが意外と難しいのが現実ですよね)
家庭学習の習慣づけ等はまた改めてまとめていけたらと思います。
長くなりましたが、私は上記に書いたような理由が自分の中で明確にあるので、日本語学習のやり方に悩むことはあっても、続けるかやめるかを悩んだことはありません。
大変ですが、意外と楽しいですよ。
勉強はみんな嫌いなんでねw
母も子も、どうやったら楽しくできるか、日々模索しています。
子供達のやる気をどう引き出すか、性格の違う子供達それぞれにどうアプローチするか、
悩みは尽きませんがね。
でもそれは子供達も同じなのかも知れません。
嫌だけど、やったほうがいいと自分でも思ってる。
だから、時に息抜きしながら、頑張っていきたいなと思います。
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